限られた時間~家族を考える~ | 旅葬・葬儀・家族葬の巡輪偲(じゅんりんさい)

プレスリリース

限られた時間~家族を考える~

父と最期にゆっくり過ごしたのはいつだろう。

父が定年退職した。
仕事一筋、子供たちの行事に参加できない事も当たり前だった父が自宅でゆっくり過ごしている。

僕たち子供も独立し家庭を持ち、父と母はいつ以来になるだろう夫婦の時間を過ごしている。
これからは夫婦で趣味の釣りや旅行をして過ごすらしい。

そんな父が体調不良を訴えたのは夏真っ盛りの8月。
大好きなお酒も最近は飲めていなかったようだ。

病院へ行くと総合病院への紹介状を渡された。

大丈夫だと自分に言い聞かせるものの、心配でネットでいろいろ調べてしまう。
『病院終わったら連絡して』とだけ母に伝えた。

その日から色々な検査を行った。
結果が出るまでこんなに時間がかかるとは知らなかった。

先生から話を聞く頃には9月になっていた。
父と母、僕と弟。
4人で話を聞いた。

『ステージⅣのすい臓がんです。』

先生が淡々と話す。

『治療をしなければ余命半年、治療をすれば余命1年~3年』

正直、僕は話についていけない。
ただわかった事は、父と母の目に涙が浮かんでいた事だった。

治療をするのか、しないのか。
父は死んでしまうのか。

家族での話し合いで治療を行うことにした。
当たり前だが少しでも長く父と一緒にいたい。
父も治療に賛成してくれた。
入院してこれから大変な治療が始まる。

こうなって初めて家族を失う怖さを知った。
こうなって初めて家族を考えた。

僕は30代、結婚して子供2人にも恵まれた。
仕事でも責任者を任され、家庭と仕事と忙しいながらも充実した毎日を過ごしていた。
というか、どちらかといえば、家庭と仕事のことで精いっぱいといったところだ。

【父とゆっくり話したのはいつだろう】

【父とゆっくり過ごしたのはいつだろう】

この問いが頭から離れない。
父と一緒にいれる時間は短い。

治療は思うように進まない。
良くなって悪くなってを繰り返す日々。

そんな中、主治医より余命1週間との宣告を受けた。
この日からお見舞いに行く度に主治医からの話がある。
精神的にも限界が近づいていた。

ふと考えたくないが、父が死んでしまったら…
亡くなったら何をしたらよいのか、だれが父を自宅まで連れてってくれるのか…

ネットで無心に調べる。
家族葬、火葬式、一日葬、自宅葬、一般葬…
どう決めたら良いのか迷っていると、ある言葉が目に留まった。

【旅葬?】

気づいたら電話をしていた。

『旅葬って何ですか?』

話を聞くと、最期の家族旅行だということがわかった。

【死んだ父と家族旅行?】

イメージがつかないが、なぜか話を聞いてみたいと思った。

実際に話を聞いたところ、想い出の地や家族で行きたかった場所へ
父を連れてバスで巡ることができるらしい。

家族に相談した。

『父と最期の家族旅行に行きたい』

今まで父とゆっくり過ごすことがなかったことに気づかず、余命宣告をされて初めて父を考えた。
どんな思いで定年まで働いていたのか、父にとって家族とは何だったのか。
今まで忙しいを理由に沢山の時間を無駄にしてきたことにやっと気づいた。

家族で沢山話し合って、旅葬にすることにした。

旭川にあるウィズハウスを案内してくれた。
ドライブが大好きだった父にはもってこいだ。

道中は家族で行った三笠の三段の滝を見て、昼食はラーメン王国で食べよう。
夕食はみんなでBBQがいいな。

最期の家族旅行。
周りに気を遣わず、父と母、僕の家族と弟家族だけで過ごす2日間。

【夜は棺の中で眠る父と語りあいたい】
【人生でこんなに父を、そして家族を考えた事あったかな】

父が死んでしまうのは悲しい。
だからこそ旅葬で父との時間を過ごしたい。

あとどれくらい生きられるかはわからない。
その日まで限られた時間を大切に過ごしたい。