父の最期が近づいている。
私は55歳、銭函で家族3人と1匹で暮らす、ごく普通な会社員。
母が4年前に亡くなり、父は羽幌で1人で暮らしていた。
母がいなくなった寂しさもあったが、友人や近所の方に囲まれ、それなりに過ごしていたようだ。
そんな父が骨折したのは2年前。
良い機会だと思い、父に相談した。
『うちで一緒に暮らさないか?』
迷いもあったと思うが、承諾してくれた。
退院後は銭函からリハビリに通う日々。
近くに友人がいなく寂しいながらも子供や孫に囲まれて楽しく過ごしている。
そんな日々が続く中、父が体調を崩して入院。
先はそう長くないとの見解。
私は思った。
【羽幌に連れて行ってあげたい】
【友人や近所の方に会わせてあげたい】
医師に相談するも年齢的に外泊は難しいと。
羽幌に連れて行ってあげれない後悔が残った。
そんな中、父の葬儀を考え始めた。
家族葬?一日葬?
自宅葬も良いけど、きれいで明るい式場で送り出したいと探していると、旅という言葉を見つけた。
『これだ!』
気付いたら電話をしていた。
『父を羽幌に連れて帰ってあげたい、会わせたい人がいるんです』
父への思いが溢れて、涙が出た。
父の葬儀は旅葬にすることにした。
打合せは葬儀とは思えない楽しいものであった。
【こんなに父の事を考えた事あったかな】
行程も決まり、父を羽幌に連れて帰れることに少しホッとした。
それから数日後、家族に見守られながら穏やかに旅立った。
もちろん悲しい、涙もでた。
だけど、これから家族での最期の旅行だ。
葬儀社に連絡し、出発の手筈をつけた。
エンバーミングを終えた父は何だか笑っているように見える。
家族でバスに乗り込みいざ出発。
羽幌へはもちろん海沿いを走るルート。
車内では父の若い頃の写真をムービーにしてもらい上映した。
窓の外を見ると、海が広がっている。
小さい頃、この海で何度父と遊んだだろうか。
父は生まれも育ちも羽幌である。
数えきれないほどこの海を見ていただろう。
実家に行く前に立ち寄った場所。
それは母が眠るお墓。
父にとって何よりも大切な人。
『母さん、父さん帰ってきたよ』
久しぶりの実家は少し埃っぽい。
皆で掃除をして、父を安置する。
女性陣は料理の支度を始めた。
私は庭に出た。
父とキャッチボールをしたあの日、
怒られ外に出されたあの日、
色々な思い出がよみがえる。
ピンポーン
父の友人や近所の方が1人また1人と父に会いにきてくれた。
私の知らない父の話を沢山聞かせてくれた。
明日は羽幌で火葬をする。
母と同じ火葬場。
最期の親孝行できたかな。
父さん、今までありがとう。