最期に会いたいあの人へ | 旅葬・葬儀・家族葬の巡輪偲(じゅんりんさい)

プレスリリース

最期に会いたいあの人へ

私の母は、食べることとおしゃべりが大好きな人でした。
お盆やお正月に母の兄弟やその子どもたちが集まる時は、私と一緒に餃子を包んだり、筑前煮を作ったりして、みんなが来るのを楽しみにしていました。
ここ数年はコロナ禍で集まれる状況ではありませんでしたが、料理雑誌をめくっては、「これはみんなが好きそうなお料理だね」などと話し、また集まれるのを楽しみにしていました。

そんな母が肺炎をこじらせ、あっけなく亡くなった時は本当に驚きました。
驚きながらも、お葬式をしなければいけないので、会員になっていたウィズハウスへ連絡をしたところ、『旅葬』について案内していただきました。

お盆やお正月に集まっていた母の兄弟は高齢で、葬儀に来てもらうのは大変かもしれない。でも、あんなに会いたがっていたのだから、最期にひと目会わせてあげたい。そんな思いで、母の葬儀は『旅葬』にすることに決めました。

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09:00 ウィズハウス出発
 札幌に住む親族がウィズハウスに集合し、そこから小樽と余市にある母の兄弟の家と、南区にある母の親友の家を巡る旅葬に出発。

10:00 小樽到着
 母の妹で私の叔母が住む、小樽に到着。
 迎えてくれた叔母は、やはり突然の別れに実感が沸かないようで、「急すぎて、心の準備ができなかった」と言いながら、母の頬に触れて別れを惜しんでいました。
母と同じく食いしん坊の叔母は、母と叔母の好物のみたらし団子を用意して、「私と姉さんは、昔から花より団子だから」と言いながら、柩に供えてくれました。

11:30 余市到着
 母の弟で私の叔父が住む余市に到着。
いつも明るい叔父の寂しそうな顔を見ると、また悲しみが込み上げてきましたが、「お母さん、叔父さんに会えてよかったね」と母に声をかけました。
叔父は母の大好きなお赤飯を用意してくれていて、やっぱり兄弟はよくわかっているなと、少し可笑しくなってしまいました。

14:00 札幌市南区到着
 母の学生時代からの友人宅に到着。友人Yさんは、「急でびっくりしたね。でも、お母さんは明るく送って欲しいって言ってたから元気出そうね」と声をかけてくれました。そして、
「お母さんはね、お葬式には拍手をして欲しいって言ってたの。せっかく楽しく生きたから、悲しまないで拍手で送って欲しいって」
母がそんなことを言っていたなんて初耳でしたが、それを聞いたみんながバスの中で拍手をしてくれました。

15:30 ウィズハウス到着
 今日の出来事や母の想い出を話しながら、最期の夜をみんなで過ごしました。
突然のお別れになってしまいましたが、叔父や叔母、友人に会うことができて、母も喜んでいると思いました。