私は56歳、子供と孫に囲まれて賑やかな毎日を送っている。
ただ1つの気がかり。
母のこと。
母は10年以上入退院を繰り返していたが、ここ3年ほどは退院できずにいた。
そう、ちょうどコロナが北海道でも蔓延しだした頃。
もう、1年以上会えない日々が続き、毎日する電話が日課だ。
元気になって自宅に帰ってきたら、いつものように皆で集まってお祝いしないと。
その頃にはコロナが少しでも収まってるといいな。
そんな思いは1本の電話ですぐにかき消された。
『いつ何があってもおかしくありません。
ワクチンを打っている家族であれば面会できます。』
幸いにも近くに住む私と妹がワクチン接種済みであった。病院へ行けたのは3日後。
それが最期の姿だった。
この2日後、母は静かに旅立っていった。
私には心に決めていたことがある。
母の葬儀は笑って送りだしたい。
よくある言葉かもしれない。
けど私は本気だ。作った笑顔ではなく心からの笑顔で送り出す。
そう思うきっかけは間違いなく父の影響だ。
父は22年前に亡くなった。
前日まではいつもと変わらなかった。
だけど翌日、目を覚ますことはなかった。脳梗塞だ。
私たち家族にとって本当に暗黒時代。
涙しか出なかった。いや、涙も出ていなかったかもしれない。
正直よく覚えていない。
父と母は子供から見ても恥ずかしいほど仲が良かった。
母の時代には珍しく恋愛結婚で、しかも母からアプローチをしたらしい。
また驚きなのが母が高等学校生で父は社会人。7歳差である。
実家近くの建築工事に父が来ていた。
母はそこで石積みのアルバイトをしていた時に一目ぼれしたらしい。
そんな父を突然なくした悲しさが癒えることはないが、
孫とひ孫のおかげで元気を取り戻した。
その孫、私からすると姪が葬儀社で働いている。
母と最期に会った日からさかのぼる事3日前。
そう、ちょうど病院から連絡が来た時。
姪が旅葬の担当をしたと連絡をくれた。
【旅葬?】
気になってすぐに姪に連絡をする。
話を聞いた後、私はこれしかないと思った。
もちろん姪も、ばあちゃんを旅葬で送りたいと思い連絡をくれたと思うが、
それ以上に私が気に入った。
私は考え始めた。
母と一緒にどこに行こうか。
やっぱり生まれ故郷に、父と母が出会った場所に連れて行ってあげたい。
そこには母の姉と弟もいる。
札幌での葬儀には来れないが、行けば会える。
そんな中での母の逝去であった。
母が自宅に帰ってきた。
いつぶりだろう、この家でみんなで過ごすのは。
かあさん、おかえり。
その後はお葬式の打合せ。
母が亡くなってから目まぐるしく時間が過ぎていくが、充実していた。
充実という言葉があっているかはわからない。
ただ、分かっている事は、ただただ母のことを考えていること。
母が生まれた、そして父と母が出会った場所。
この場所から始まったんだ。
ただ現実は一筋縄ではいかなかった。
叔父、叔母が来てほしくないようだ。
考えてみればそうだ。
ニュースだけ見てると札幌はとんでもないところだ。
1日に何百人も感染しているのだから。
けど私はあきらめられない。
いとこに連絡を取り何度も説明。
バスから降りないという事で了承してもらえた。
いとこが叔父たちを説得して窓越しにはなるがバスも見送ってくれる事になった。
ようやく準備が整った。
みんなで楽しく笑顔で母を送り出せる。
【父さんの写真も持って行こう】
写真を見ていると葬儀屋さんが行程の最終確認に来た。
確認も無事に済んでホッとした。
その時、突然こう聞かれた。
『お母さまが亡くなって1日が過ぎようとしています。
いま、お母さまに声をかけるとしたら何とかけますか?』
少しだけ悩んだ。けど、これしかない。
『ありがとね』
『あなたのおかげで来たわよここまで』
この言葉を口にしたら、母への思いがあふれ、涙が出た。
【母さんと一緒にいて本当に楽しくて幸せだった】
【母さんがいたから乗り越えられた】
【母さんがいたから笑ってこれた】
【母さん、感謝してるよ】
出発の日の朝。
みんなで母さんに声をかける。
『父さんも一緒に行くから大丈夫』
『ばあちゃん、みんなで一緒に行こう』
バスに乗り込みいざ出発。
車内はずっと盛り上がっている。
こんなお別れがしたかったんだ。
【母さん、みんなの声聞こえてる?】
そして一番嬉しかったこと。
叔父と叔母が花を用意して待っててくれた。
そして、
『姉さんの顔が見たい』
そう話すと、バスに乗り込み母の顔を見ながらお別れしてくれた。
叔父だけではない。
叔母の家にも案内してくれた。
バスで来ることを嫌がっていた叔父が、ここまでしてくれるなんて。
【母さん、みんなに会えてよかったね】
明日は最期のお別れ。
後悔は何もない。
【ありがとね、母さん】